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安産子育河童とは

安産子育河童とは、東京都中央区日本橋蛎殻町水天宮境内にある、親河童に赤ちゃん河童がしがみつく親子像です。足元・胸元・肩へ広がる赤ちゃん河童の姿から、親子の親密さや子育ての情景が伝わります。

足元から肩まで続く親子の姿

水天宮公式が紹介するのは、赤ちゃん河童が親河童の足元・胸・肩にしがみつく、仲睦まじい河童の親子像。正面だけでなく、赤ちゃん河童がどこにつかまっているかを順に見ると、像の物語を読み取りやすくなります。

水天宮はいつ蛎殻町へ来た?

東京の水天宮は、1818年(文政元年)に久留米藩の江戸上屋敷へ分祀されたことに始まります。その後の移転を経て、1872年(明治5年)に日本橋蛎殻町へ移りました

安産子育河童は、その水天宮で親子の情景を伝える境内像。ただし、公式案内に像の制作年は示されていません。水天宮が蛎殻町へ移った年と、河童像が作られた年を同じと考えない方がよいでしょう。

もう一つの親子像との違い

同じ境内には、母犬と子犬の周囲に十二支を配し、自分の干支をなでる別の親子像もあります。安産子育河童には十二支の輪がなく、河童の親子が寄り添う造形そのものが見どころ。

日本橋トピック♪なぜ水天宮に河童がいるの?

水天宮の総本宮は、福岡県久留米市の筑後川のほとりにあります。久留米では、川に棲むことを許された河童が水の神をまつる水天宮の守り役になったと伝えられ、河童と水天宮の結び付きが語られてきました。水辺の妖怪として知られる河童も、水の神とのゆかりを知ると、親子の河童像が境内に置かれている意味をつかみやすくなります。

安産子育河童に関するよくある質問

安産子育河童の作者や制作年は分かりますか?
水天宮公式の境内案内には、作者・奉納者・制作年の記載がありません。水天宮が日本橋へ移った年を、像の制作年として扱うことはできません。
安産子育河童は、なで方などの決まった作法がありますか?
水天宮公式の境内案内は親子像の姿を紹介していますが、なでる場所や回数は示していません。現地の表示がある場合は、その案内に沿ってお参りしてください。

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