檜物町とは
檜物町とは、「ひものちょう」と読む、明治期の日本橋花街を構成した旧町名の一つです。中央区によると、檜物町・数寄屋町と周辺の町々は、現在の八重洲一丁目・日本橋二丁目・三丁目にあたる地域にありました。
花街と文学の記憶を残す町名
檜物町は現行の住所名ではなく、日本橋花街の歴史を読むための旧町名です。中央区立図書館の町名変遷資料には「桧物町」という表記もあり、読みはいずれも「ひものちょう」。
この一帯は泉鏡花の小説『日本橋』や新派劇「日本橋」の舞台と結びつきます。数寄屋町や西河岸地蔵堂などの関連語と一緒にたどれば、現在の地図では見えにくい花街と物語のつながりを感じられるでしょう。
日本橋トピック♪小村雪岱が暮らした檜物町
埼玉県立近代美術館によると、小村雪岱は15歳から日本橋檜物町に住み、泉鏡花をはじめとする文化人と交流しました。1924年(大正13年)頃の《青柳》が描くのは、日本橋界隈の春。町名が消えた後も街の空気を伝える作品です。
関連用語
檜物町に関するよくある質問
- 「檜物町」と「桧物町」は別の町ですか?
- 中央区の各資料では、同じ「ひものちょう」を指す表記として使われています。中央区の文化財解説は「檜物町」、中央区立図書館の町名変遷資料は「桧物町」と記しています。
- 檜物町という住所は現在も使われていますか?
- 現在の中央区の住所名には残っていません。旧地図や文学資料を調べる際は、読みの「ひものちょう」と、異体字を使う「桧物町」の両方で探すと見つけやすくなります。

