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順天堂発祥の地とは

順天堂発祥の地とは、医学校・順天堂(今の順天堂大学)のルーツが生まれた場所を伝える史跡です。場所は中央区の日本橋・薬研堀(やげんぼり)。医師の佐藤泰然(さとうたいぜん)が蘭方医学の塾を開いたこの地に、発祥を記念する碑が立っています。

薬研堀で開かれた蘭方医学の塾

佐藤泰然は、長崎で蘭方医学を学びました。蘭方医学とは、オランダを通じて日本に伝わった西洋医学のこと。当時としては最先端の医療です。泰然は天保9年(1838年)、江戸の薬研堀に居を構え、医学塾を開きました。これが、のちの順天堂につながる出発点になります。

「順天堂」の名は佐倉で生まれた

ここで少し注意したいのが、塾の名前です。薬研堀で開いた塾の名は「和田塾」で、まだ「順天堂」ではありませんでした。泰然はその後、天保14年(1843年)に佐倉藩主・堀田正睦(ほったまさよし)の招きで下総佐倉(今の千葉県佐倉市)へ移り、そこで開いた塾を「順天堂」と名づけます。

つまり、薬研堀は「順天堂」という看板を掲げた場所ではなく、順天堂のルーツが芽吹いた地。だからこそ「発祥の地」と呼ばれるわけです。「ここに順天堂という病院があった」と早合点しないのが、この史跡を味わうコツでしょう。

日本橋トピック♪ひとつの境内に「発祥の地」が二つ?

順天堂発祥の地の碑が立つのは、薬研堀不動院の境内。実はこの同じ境内には、話芸の講談(こうだん)発祥を記念する碑も立っています。西洋医学と、人を語りで楽しませる話芸。まったく毛色の違う二つの「発祥」が、ひとつのお不動さまの境内に同居しているのは、なんとも日本橋らしい街歩きの発見でしょう。

順天堂発祥の地に関するよくある質問

佐藤泰然とはどんな人ですか?
長崎で西洋医学を学んだ蘭方医で、順天堂の学祖とされる人物です。日本橋の薬研堀で塾を開き、のちに佐倉でその医学を大きく育てました。
発祥の地なのに、塾の名が「和田塾」なのはなぜですか?
薬研堀で開いた塾の名は和田塾でした。「順天堂」の名は、のちに佐倉へ移ってから付けられたため、この地は順天堂のルーツとして「発祥の地」と呼ばれます。
今の順天堂大学はこの場所にありますか?
ありません。発祥の地は日本橋の薬研堀ですが、現在の順天堂大学やその病院は本郷など別の場所にあります。

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