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長崎屋源右衛門とは

長崎屋源右衛門とは、江戸の本石町三丁目で薬種屋と阿蘭陀宿を営んだ長崎屋の当主が代々用いた通称です。オランダ商館長の江戸参府一行を迎え、蘭学者や医師が交流を求めて集まる場を支えました。

名乗りの性格:江戸前期から幕末まで、長崎屋の当主11代が「源右衛門」を名乗りました。

一人の名ではなく、11代が継いだ当主名

長崎屋源右衛門は、特定の一人だけを指す名前ではありません。国立国会図書館のレファレンス協同データベースが紹介する人物事典では、江戸前期から幕末まで11代が源右衛門を称したと説明されています。

店は本石町三丁目、日本橋室町四丁目4番10号付近にありました。薬種屋であると同時に、オランダ商館長と随員が将軍への拝謁などで江戸へ来た際の定宿を担います。

長崎屋源右衛門と長崎屋跡の違い

長崎屋源右衛門は当主の名乗り、長崎屋は店と阿蘭陀宿、長崎屋跡はその場所を伝える区民史跡です。3つを分けると、人物・商い・場所の関係が整理できます。

「源右衛門」という一人が江戸前期から幕末まで宿を守ったわけではありません。複数世代の当主が名乗りと役割を引き継いだ歴史です。

日本橋トピック♪薬種屋が西洋の知識と出会う窓口になった

長崎屋には、オランダ商館長一行だけでなく、日本の蘭学者や医師も訪れました。目的は直接交流や交換教授。日本橋の薬種屋が、海の向こうの医学や知識へ触れる貴重な接点になっていたのです。

長崎屋源右衛門に関するよくある質問

長崎屋跡はいつ文化財に登録されましたか?
2001年4月1日に中央区の区民史跡へ登録されました。登録地は日本橋室町四丁目2番地です。
阿蘭陀宿は江戸の長崎屋だけでしたか?
江戸だけではありません。中央区公式は、オランダ商館長一行が江戸・京都・大坂・下関・小倉の5都市6軒の阿蘭陀宿に止宿したと説明しています。

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