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新大橋の橋名板とは

新大橋の橋名板とは、明治時代の新大橋に掲げられていた、橋の名前を記した銘板(めいばん)です。橋名板とは、橋の名前を示すために掲げる札のこと明治45年(1912年)に架けられた鉄の橋に取り付けられていたもので、書家・野村素介(のむらそすけ)が書いた「新大橋」の文字が刻まれています。関東大震災や戦災をくぐり抜けた貴重な遺物として、中央区の文化財に登録されました。

明治の鉄橋が遺したもの

この橋名板が付いていたのは、明治45年(1912年)に架けられた鉄製のトラス橋でした。板は将棋の駒のような形の鉄板に木枠を設け、漢字とローマ字で橋名を陽刻した装飾性の高いもの。新大橋が昭和52年(1977年)に今の斜張橋へ架け替えられたとき、橋そのものは姿を消しましたが、この橋名板だけは守り継がれ、現在は新富一丁目の郷土資料館に保管されています。

ひとつ注意したいのは、これは今わたしたちが渡る新大橋の板ではないという点。あくまで一代前、明治の鉄橋にまつわる遺物です。今の橋と取り違えないようにすると、歴史の重なりがすっきり見えてきます。

日本橋トピック♪明治の新大橋は、いまも愛知県で会える?

明治45年の新大橋は、関東大震災でも焼け落ちずに耐えた頑丈な鉄橋でした。今の橋へ架け替えられる際、橋名板は中央区に残されましたが、じつは橋の一部(約23メートル分)が遠く愛知県犬山市の博物館明治村に移築され、保存されています。中央区の橋名板と、明治村の橋の一部。同じ一本の橋から生まれた“離れた兄弟”が、別々の場所で明治の土木技術を今に伝えているのです。

新大橋の橋名板に関するよくある質問

新大橋の橋名板はいつ文化財に登録されたのですか?
平成8年(1996年)に、中央区の区民有形文化財(工芸品)として登録されました。
明治の新大橋の一部は他の場所にも残っていますか?
はい。橋の一部が愛知県犬山市の博物館明治村に移築され、保存されています。
「新大橋」の文字を書いたのは誰ですか?
書家の野村素介(のむらそすけ)です。明治期に活躍した人物の筆による字が残されています。

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