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日本橋兜町遺跡内肥後国熊本藩細川家屋敷跡出土肥後国産陶磁器・細川家家紋瓦とは

日本橋兜町遺跡内肥後国熊本藩細川家屋敷跡出土肥後国産陶磁器・細川家家紋瓦とは、日本橋兜町にあった熊本藩細川家の屋敷跡から出土した陶磁器と瓦の計41点で、中央区登録の区民有形文化財です。国元・肥後とのつながりと、江戸下屋敷の生活を伝えます。

41点は「肥後の器」と「江戸の瓦」

資料の内訳は、肥後国産の陶磁器38点と、細川家の家紋を施した江戸産の瓦3点。陶磁器には碗や皿、香炉などがあります。すべてが肥後で作られた品ではないと知ると、名称も読み解けるでしょう。

出土したのは、2018年の小学校・幼稚園建て替えに伴う発掘調査です。調査地には1842年から明治初め頃まで熊本藩細川家の屋敷がありました。2025年4月1日に登録され、所在地は新富一丁目の中央区立郷土資料館です。

大きな池から見つかった屋敷の品々

遺物の多くは、19世紀中頃から幕末頃の大きな池から見つかりました。陶磁器38点のうち32点と家紋瓦3点が池から、陶磁器6点が池以外から選ばれています。

中央区は、肥後国産の陶磁器が日常使い以外の目的で国元から取り寄せられたとみていますが、用途は断定されていません。器の産地と家紋入りの瓦を合わせて見ると、遠く離れた肥後と江戸の屋敷を結ぶ細川家の暮らしが浮かびます。日本橋蛎殻町一丁目遺跡出土遺物と比べると、屋敷ごとの器の選び方にも目を向けられるでしょう。

日本橋トピック♪41点を分けると、産地の違いが見えてくる

41点の内訳は肥後国の陶磁器38点と、江戸産の家紋瓦3点です。器は国元とのつながりを、瓦は江戸に置いた屋敷の主を示す手掛かりになります。ひとまとまりの資料でも、産地と役割は同じではありません。

日本橋兜町遺跡内肥後国熊本藩細川家屋敷跡出土肥後国産陶磁器・細川家家紋瓦に関するよくある質問

41点はすべて肥後国産の陶磁器ですか?
いいえ。肥後国産の陶磁器が38点、細川家の家紋を施した江戸産の瓦が3点です。産地と役割が異なる二つの資料群を合わせた名称です。
なぜ肥後国産の器が江戸の屋敷にあったのですか?
中央区は、日常使いとは別の目的で、細川家が国元の肥後から取り寄せたと考えています。国元と江戸屋敷の結び付きを示す手掛かりです。

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