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難波町裏河岸 末廣稲荷社取調書とは

難波町裏河岸 末廣稲荷社取調書とは、末廣神社の旧地と移転先を、かつての入堀や河岸との関係で記した文書です。中央区登録の末廣神社所蔵文書に含まれ、現在の日本橋人形町に失われた水辺を重ねる手がかりになります。

入江橋近くから難波町裏河岸へ

中央区の解説によると、当初の稲荷社は、浜町堀から西へ入る入堀の入江橋近くにありました。その後、難波町裏河岸沿いにある入堀の東側へ移ったという記録です。

難波町裏河岸は、現在の住所名ではありません。取調書の移転先は現在の日本橋人形町二丁目25番付近で、末廣神社は同二丁目25番20号に鎮座。

難波町裏河岸は旧河岸名、末廣稲荷社取調書は文書です。二つを分けて捉えると、河岸そのものの歴史と、神社の移転記録を混同せずに読めます。

東京都中央区の日本橋人形町を主題とする史料であり、大阪の難波地域とは関係ありません

日本橋トピック♪消えた入堀を現在の番地へ重ねられる

中央区は、かつての入堀を現在の日本橋人形町二丁目5・8・24・28番付近、移転先を25番付近と説明しています。水路の形を推測しなくても、取調書を手がかりに江戸の水辺と今の街区を結べます。

難波町裏河岸 末廣稲荷社取調書に関するよくある質問

難波町裏河岸と難波町裏河岸 末廣稲荷社取調書は同じものですか?
同じではありません。難波町裏河岸は日本橋にあった旧河岸名で、末廣稲荷社取調書は、その河岸沿いへの神社移転を記した文書です。
末廣神社が難波町裏河岸へ移った年は分かりますか?
中央区の文化財解説は、旧地と移転先の位置関係を示していますが、移転年は明記していません。年を推定せず、確認できる場所の関係として捉えるのが正確です。

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