難波町裏河岸とは
難波町裏河岸とは、江戸から明治初期の日本橋にあった河岸名で、中央区立図書館の町名変遷資料では現在の日本橋人形町へつながる旧地名です。現行の住所名ではないものの、末廣神社の古文書が失われた水辺の位置を伝える手がかりになっています。
難波町から浪花町へ変わった町名
中央区立図書館の町名変遷資料では、難波町と難波町裏河岸がやがて浪花町にまとまり、さらに現在の日本橋人形町へ引き継がれた流れが示されています。町名の由来は謡曲の「難波」にちなむと伝えられますが、確定した記録は残っていません。
難波町裏河岸は合併前の河岸名、浪花町は合併後の町名という関係です。現在の人形町を歩くなら、道路名や住所ではなく、かつて入堀が入り込んでいた土地の記憶として読むと位置づけをつかみやすいでしょう。
日本橋トピック♪末廣神社の文書が河岸の位置を伝える
末廣神社に残る「難波町裏河岸 末廣稲荷社取調書」には、神社が難波町裏河岸沿いの入堀東側へ移った記録があります。中央区はその場所を現在の日本橋人形町二丁目25番付近と説明しています。消えた河岸を現代の街角へ重ねる手がかりです。
関連用語
難波町裏河岸に関するよくある質問
- 難波町裏河岸を住所検索で見つけられないのはなぜですか?
- 現在使われている住所名ではないためです。旧地図や町名変遷資料では、漢字の「難波町」と、改称後の「浪花町」を分けて調べると追いやすくなります。
- 難波町裏河岸の「裏河岸」は現在も川沿いですか?
- 現在の景観だけから当時の水辺を確認することは困難です。中央区の末廣神社所蔵文書の解説には、かつて入堀があったことと、その東側へ神社が移った記録が示されています。

