太田圓三とは
太田圓三とは、関東大震災後の復興事業で内務省復興局土木部長を務め、清洲橋など東京の復興橋梁の設計・施工方針を指揮した土木技術者です。読みは「おおたえんぞう」。日本橋中洲と江東区清澄を結ぶ清洲橋では、橋梁課長の田中豊とともに基本方針を定めました。
清洲橋で担ったのは全体方針
清洲橋は1928年(昭和3年)に完成した震災復興橋梁です。中央区の資料によると、太田と田中の方針に基づき、復興局技師の鈴木清一が橋を吊る上部構造の設計を主に担当しました。つまり、太田を一人の詳細設計者とみなすのではなく、事業全体を率いる土木部長として構造と景観の方向を示した人物と捉えるのが正確でしょう。
橋を都市景観の一部として考えた
復興局は、東京で多数の橋を設計しました。なかでも隅田川の主要な復興橋梁は、永代橋や清洲橋など、それぞれに違う構造形式が選ばれています。背景にあったのは、強度や施工条件だけでなく、橋ごとに異なる姿で新しい東京を表そうとする考え。震災復興橋梁図面から、その計画を読み取れます。
日本橋トピック♪隅田川の六大橋は、なぜ同じ形ではない?
土木学会の解説では、太田圓三と田中豊は隅田川に架ける六つの主要橋で、すべて異なる構造形式を選びました。太田は画家にも意匠案を求めたとされます。短期間で大量の橋が必要な復興事業でも、一つの型を繰り返さず、街の表情まで設計しようとした点が特徴です。
関連用語
太田圓三に関するよくある質問
- 太田圓三の「圓」は「円」と同じ字ですか?
- 「圓」は「円」の旧字体です。中央区などの公的資料でも、人物名は「太田圓三」と旧字体で表記されています。
- 太田圓三が復興事業について述べた資料は残っていますか?
- CiNii Booksには、太田圓三が述べ、復興局土木部が1925年に刊行した『帝都復興事業に就て』の書誌情報が登録されています。

