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末廣稲荷由緒書とは

末廣稲荷由緒書とは、日本橋人形町末廣神社に伝わる由緒書で、中央区登録の「末廣神社所蔵文書」19点の一つです。神社への奉仕、元吉原の町々との関係、「末廣」という社名の由来を伝えています。

神社と氏子町の歩みを記した由緒書

中央区の解説によると、由緒書には元和元年(1615年)、徳川家康の命で駿河国から江戸へ移った法印・山本院実行が、当地に古くからあった稲荷社へ奉仕したと記されています。

末廣神社は、元吉原にあった江戸町京町角町などの産土神と位置づけられました。明暦3年(1657年)の大火後に吉原が移転してからも、跡地にできた難波町高砂町住吉町、新和泉町の氏子から信仰された経緯が残ります。

1615年は神社の創建年ではありません。創建年代は不詳で、山本院実行が既にあった稲荷社へ奉仕した年として読むのが正確です。

末廣神社所蔵文書全体を地域の記録群とするなら、この由緒書は神社と町の関係をまとめた中核資料といえるでしょう。

日本橋トピック♪「末廣」の名は半開きの扇につながる

由緒書は、社殿修復の際に「中啓」という扇が見つかったと伝えます。中啓は畳んでも半ば開いて見える扇。その先が広がる姿を喜び、社名に「末廣」の二字を冠したとされています。

末廣稲荷由緒書に関するよくある質問

末廣稲荷由緒書に出てくる「産土神」とは何ですか?
その土地や地域の人々を守る神を指す言葉です。由緒書では、末廣神社と元吉原にあった町々との関係を表すために使われています。
「末廣」と「末広」は別の名前ですか?
「廣」は「広」の旧字体です。末廣神社の公式表記と文書名は旧字体の「末廣」を使っています。

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